「キノコ採りに来る人間を嫌いな月の輪熊」  S26卒 藤村与蔵 氏 花巻市在住

秋も九月例年なら、キノコの収穫の最盛期、なぜか今年は思うに任せず俺のリュックは軽めの年です。
そうだ、今日は元豊沢集落が在った付近の沢を探索してみようか、と思い、おにぎり、水筒はリュックに、飴玉二個ボケットに、これで準備OK。約三O分位で豊沢沢ダムのダム頭、野外活動センター付近に来ても何処の沢に入ろうかまだ迷っております。
面倒だ、この沢は一昨年に沢山の倒木があった沢です。
一昨年ではまだキノコの生えるには早いと思うが、まあ、一応探索してみよう。

山に入ると、風倒木の調査は一応後回しにしようと思い、立木に寄生して居るかも知れない舞茸をいつの間にか探しています。

リュックに付けた鈴に同伴してもらい、下手な唄を唄いながら、時々熊よけの大声を出しての藪歩きです。
何としたことか、今年はこのキノコの宝庫にキノコの「キ」の字も見当たりません。
この時期は、いくらなんでも俺一人くらいの晩の味噌汁の具になるくらいのボリメキ(ナラ茸)が採れるはずなんだが、集中豪雨のせいか、温暖化で遅れているのかもしれない。

あのミズ楢、このミズ楢と探して歩く。
やはり誰かが俺より先にさがしてあるいたのかなあ、楢の樹の根本の藪を気にせず、一直線に藪を漕いだ跡があります。

木の下に楢の木の葉の付いた枯れ枝が落ちています。なんだ熊の野郎俺の先に来て、楢の枝を折ってドングリを食っていたのか。

「オーイコラー俺が来たぞ」と大声で叫んでみる。藪の濃い林の中、木魂は返って来ません。

これはカモシカか熊でしょう、さすがは山の生き物、この蔓木が絡んだ笹薮をまっすぐ歩くとは。俺は細い若木、熊笹等に捉まりながら、右に左に藪の薄いところを見ながらゆっくりと進みます。ゆっくりといっても俺自身は急いでいるつもりなんです。

それにしても、折り取られた真新しい楢の枝があちらこちらと散らばっています。

熊は人間と違い物の栽培ができないので、まだ熟さない、数粒しか付いていない、木の枝を折り取って食べなければならないのでしょう。いや、熊ばかりでなく他の野生動物には生活しがたい環境になってしまったのでしょう。

この付近豊沢は、七十年くらい前は集落が在り、小学校もあって、作物を作っているところでした。
多分、熊は時々その作物をかすめ取り、人間といざこざの絶えない場所でもあったと思います。
ここに灌漑用のダムがつくられ、集落の皆さんが町に移住することになり、学校の跡地には野外活動センターがつくられていましたが、利用度が少ないためか数年前に廃止となりました。

田植え前は満杯の水を湛えていますが、ダムには管理人が居って、雨季には水の調節を行っているようです。

熊は針葉樹の植林地帯の沢の脇の草地で、春は食となるサク、フキノトウ、熊笹のタケノコなどを探し、秋には林の中では栗、楢、栃などの実を探して歩いているのですから、そこを俺たち人間に徘徊されるので、熊にすれば本当に困った者たちでしょう。
俺たち人間から見れば、熊は全くの悪者に見えますが、熊から見れば、私たち人間は熊の生活圏を侵略している本当に困った存在なのです。だから熊は人間を襲うことになってしまうのです。

さて、下手な唄も忘れて歩いていました。リュックに付けた鈴は真面目にリンリンと音を出しています。

先ほどまでは殆ど風がなかったのに、急にブナの梢に風が吹いたような音がします。

上を見上げますと、風ではありません。
熊が俺を見てため息をついているのか昂奮して「ぶわあーぶわあー」と風圧を感じさせる大息を吐き出しているのです。
俺に気を取られて、登っている大木に絡まっている蔦の小枝に捉まったために蔦が切れ、十メートル以上もある木から落下してしまったのです。

「どっすん」

ここで熊に背を向けては襲われるかもしれません。愛用の山刀を抜いて振り回しながら

「このやろう・・・こらあー」

山中の木々に響き、迷惑を及ぼすような声を張り上げ、熊に詰め寄りました。

熊は、先ほどの風速十メートルを超えるような肺活量も忘れて、沢下の方に逃げ去っていきました。

 

この熊は、俺よりも大きいようでしたので、多分百キロ以上はあると思いました。その体重を維持するために、人間と争って、乏しい食料を採らなければならないのでしょう。

 

ところで、熊の肺活量どんなものでしょうか?

あの風のような息の吐き方ですとそうとうなものでしょうが、俺の二十代、三十代の最高肺活量はたしか六千位だったと思いますが、あの時の熊の息遣いは、何倍もあるように感じました。

何方か熊や馬、牛ライオンなどの肺活量は?大した人間生活に関係がないのでそんな無駄はやめておきますか。

窮したときは別として、あまり熊なんかと争わぬようにします。

 

ああそれから、その日の収穫は皆無、家を出たとき入れた空気に山の空気を少し足したリュックを背負って帰りました。

 

なあーに、八十四歳の俺にはまだまだ、明日以後、来年再来年もあると思います。そのうちに山菜も、キノコも俺の前に顔を見せるでしょう。

 

今日の幸 怪我も茸も 皆無の日」   垂川